市の概要

更新日:2021年01月08日

位置・地勢

潟上市地図

潟上市は、秋田県のほぼ中央の沿岸部に位置しており、東は井川町と、南は秋田市と、西は男鹿市と、北は八郎湖を挟んで大潟村と接しています。
東部は南北に縦走する国道7号の周辺に小高い丘陵(女川層)が多数連なっており、出羽丘陵に続いています。中央部及び北部は、秋田平野の北辺部として八郎湖に向かって広大な田園地帯が広がっており肥沃な穀倉地帯となっています。西部は県内有数の3本の砂丘群が連なっているほか、日本海に面した沿岸部は秋田市から続く海岸砂丘となっており、秋田県の保健保安林に指定されています。砂丘群の間は集落や畑地、樹園地として活用されています。
潟上市は、秋田自動車道、日本海沿岸東北自動車道等高速交通体系が整備され、また秋田空港から車で30分程度の距離にあるなど、首都圏へのアクセス性も高まっています。また、県都秋田市に隣接したベッドタウンという都市的な特性と広大な田園風景に代表される豊かな自然環境を併せ持っており、こうした恵まれ た地勢を活かした、魅力あるまちづくりが期待される地域です。

市名の由来

市名「潟上」は、「日本三代実録(注釈1)」の記録に由来します。この史書の元慶2年(878年)7月10日癸卯の条に、秋田城下の一村として「方上」が録されています。また「和名類聚抄(倭名類聚鈔)(注釈2)」にも「秋田郡」を構成する一地域として「方上」が記載されています。
「方上」の「方」は「潟」を意味し、八郎潟に面し、しかも上に位置する天王町・昭和町・飯田川町の3町を含む一帯と比定されます。こうした歴史を踏まえ、「上」にさらなる発展・向上の願いをこめ、「潟上」とし新市の名称としました。

(注釈1)日本三大実録:日本書紀を初めとする勅撰史書六国史の最後の書。五十巻からなり、延喜元年(901年、平安時代前期)に撰上
(注釈2)和名類聚抄(倭名類聚鈔):我が国最初の分類体の漢和辞書。源順編。承平4年(934年、平安時代中期)頃成立。
 

潟上市章

市章

市名「潟上」の「上」をモチーフに抽象化したデザインです。
赤い丸と上の緑の弧で人をイメージし、青と緑の弧は潟上の自然の象徴である八郎湖と肥沃な大地を描き、住む人との調和を表しています。

市民憲章

潟上市市民憲章

潟上市市民憲章策定委員会
委員長石川久悦
副委員長小玉正次郎
委員川上景昭、佐藤小枝子、門間正光

潟上市民歌

公募による応募作品16編の中から潟上市民歌歌詞選定委員会が、大澤艶子氏の作品を優秀作品として選定。内容について補作し、潟上市民歌の歌詞として報告されました。
作曲は、秋田大学教育文化学部教授四反田素幸氏です。

潟上市民歌

潟上市民歌の著作権は潟上市が所有しています。個人的に楽しむ場合を除き、許可なく複製、放送、貸与、転用、改変などの行為をすることはできません。

潟上市民歌の歌詞選定委員会
委員長    保坂廣治郎
副委員長    小玉喜久子
委員    菅原昭衛、舘岡誠二、千釜里香子

潟上市の花・木・鳥

バラの写真

市の花-「バラ(薔薇)」

バラの美しさに魅せられ、栽培方法が難しいとされる寒冷地の悪条件を克服して「天皇賞」を受賞した一青年の情熱が花き栽培のきっかけとなり、今では東北屈指の花の産地となった昭和地区。地場産業の振興は、若者に夢と希望を与え、心豊かで潤いのある潟上市を創りあげていきます。
バラは人々の心の拠りどころとなる花であり、愛、美、調和などを意味することなどから、最もふさわしい市の花として「バラ(薔薇)」が選定されました。

黒松の写真

市の木-「クロマツ(黒松)」

マツは、常緑樹で古くから祭り木の略ともいわれ、門松など祝い事に用いられています。市内に数多く生育し、名木も多く、庭木など市民に親しまれています。特に日本海の潮風から農作物や田畑を守る「夕日の松原」は先人の遺産として後世に残すべきものです。
クロマツは、大地にどっしりと根を張り、雄々しく、逞しく、自然環境を大切に守ることなどから、伸びゆく潟上市を象徴するに最もふさわしい市の木として「クロマツ(黒松)」が選定されました。

シラサギの写真

市の鳥-「シラサギ(白鷺)」

鷺は、寛文4年に建立された神明社のお祭りの折りに、佐竹義隆公に召された福蔵坊が、神をなぐさめるため、神楽遊びとして先祖伝来の鷺舞いを舞って殿様を楽しませたとされる飯田川地区の鷺舞いに結びつき、古くから伝えられる伝統や文化を守る人々の心が鷺を介して息づいています。
市内八郎湖沿いの田んぼや川の浅瀬に見られるコサギやダイサギの愛らしい姿から、これら白い鳥の総称である「シラサギ(白鷺)」が最もふさわしい市の鳥として選定されました。