国指定重要無形民俗文化財 東湖八坂神社祭統人行事

更新日:2025年12月02日

東湖八坂神社祭統人行事

神社の縁起

東湖八坂神社祭統人行事

延暦18年(799 平安初期)、エミシ(夷)征伐を命じられた田村将軍利人公が出雲大社に詣で、戦勝を祈念しスサノオノミコトを祀る御品を賜り奥羽に向かいました。エミシを征服した田村将軍は、神恩に感謝し延暦20年北野原東湖宮という所に社を建立し、御品を納めスサノオノミコトを祀りました。田村利人公は「一天泰平四海静謐悪魔降伏五殼成就厄難消除萬民守護」の神社として奉祀したとされています。これが、「牛頭天王神社縁起」 (伝康平6年作成)による東湖八坂神社の起源です。

その後、現在の地に遷座し、 祭事が執り行われるようになったのは康平5年(1062 平安後期)のことです。

現在、東湖八坂神社と呼称されるこの神社は、本地垂迹説によればスサノオノミコトの本地仏が牛頭天王であることから「牛頭天王神社」「天王宮」 などいろいろと呼ばれてきました。中世には安東氏の、近世においては佐竹氏の庇護にあずかってきました。特に藩政時代には、佐竹藩の御国十二社のひとつとして物心両面の援助を受けました。 また、時の権力者のみならず広い範囲にわたり庶民の篤い信仰の対象となってきました。

この神社の祭事は、輪番制の統前によって執行されています。統人制が厳しく守られてきたこと、年間を通じて行われる多様で豊かな諸行事が継承されてきたことにより、昭和61年(1986)1月「東湖八坂神社祭統人行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されました。

統人とその役割

東湖八坂神社祭統人行事

東湖八坂神社の1年間にわたる諸祭事は、天王と船越(男鹿市)の統人たちによって執り行われます。「統人」を「当人」あるいは「頭人」とも表記することもありますが、統人は祭礼執行の中心的な役割を担います。

7月7日(船越)、7月8日(天王)に、お竹を受けることによって統人として認知され、その役割を引き継ぐことになります。統人の役割は、足掛け 3年、満2年の長期間にわたります。前半は「新統人」と呼ばれ先頭に立って直接に祭事を取り仕切り、後半は「古統人」として新統人の後見役を勤めます。健常な妻帯者であることが統人を受ける条件となっています。身内に不幸なことが生じた時には、役を辞退し代わりの者をたてます。統人には一番統人とそれを補佐する二番統人がいます。したがって、天王と船越とで4人の統人がいることになります。(新旧合わせると8人)天王の場合には、この一番続人を神社の鎮座する天王地区(本郷)で勤め、二番統人は他の6つの集落で輪番で担当しています。船越は8町内の輪番で統前町が一番統人二番統人を担当します。

天王と船越とでは、祭事の役割分担に違いがあります。天王では、酒部屋親爺(アシナヅチを倣う)がいて酒部屋に関わる仕事をしています。牛乗り神事、御味噌煮、お竹迎えは天王で行っています。船越では酒部屋姥(テナヅチを倣う)がいます。くも舞い神事は船越が分担しています。

7月7日、8日の新統お竹受けに始まって翌年の7月8日の注連納めで行事は一応の終了をみるのですが、その時すでに新たな祭事が始まっているのです。このようにして連綿として本行事が継承されてきたのは、統人制を創り上げた先人の知恵によるものでしょう。

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